Taking Dawn
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バンドメンバー
Chris Babbit
Mikey Lattino
Andrew Cushing
Alan Doucette
シン・シティとしても知られるラスヴェガス出身、2006年結成。ラスヴェガス出身という彼らが育ったバックグラウンドに関して、フロントマンのクリス・バビットは独特のユーモア・センスを発揮しながらこう言っている「人生の大半をラスヴェガスで過ごしてきたんだ。この街で育った奴らの中で、ヤクの売人にならなかったのは俺達だけなんじゃないか?」。 そのクリス・バビットと、ギターのマイキー・クロスは、実は同じ病院で、同じ医者の手によってこの世に生まれた関係を持っている。つまり、この二人は生まれたときから一緒にバンドを組む運命にあったわけだ。クリスによると、このバンドの結成の流れはこういう事らしい。「アラン・ドゥセットと俺は高校2年生の時に出会った。ちょうど俺がギターを弾き始めた頃だね。そしてマイキー・クロスとは高校の最終学年の時に出会った。それから俺は何年もかけてバンドを結成しようとしてたんだけど、アンドリュー・カッシングと出会い、ようやくバンドとして活動できるようになったのは、俺が21歳になった頃だったよ」こうしてラスヴェガス出身の4人が集まり、結成当初は7TH SONというバンド名で、地元を中心に活動するようになる。ちなみにクリスがフロントマンの役目を果たすこととなったきっかけは、「実はメンバーの誰も歌えなかったんだ、だから俺がやる事になった、皆どうしようもない下手さだったけど、俺はまだ他の奴らよりちょっとはマシだったってだけなんだけどね」との事。地元でよく出入りしていたROBERTO’S TACO SHOPにてまわりを蹴散らしながらライヴを行い始めたのが、まさにこのバンドのスタート地点だったのだ。

クリスとマイキーは同時期にハード・ロック・ホテルのセキュリティとしても働いており、この事実もロックンロールの生活に囲まれ、その世界に没頭するようになるきっかけとなったそうだ。コネタとして、このホテルで働いていた時期、二人はテレビの「リハブ・ショウ」に取り上げられ、「スター・セキュリティ」として取り上げられた事もある。ちなみにクリスの父親はロッカーでありヒッピーであったそうで、幼少の頃からブラック・サバスやディープ・パープルに洗礼を受けながら成長したそうだ。「彼はサバスを聴きながら俺のベビー・ベッドの周りに掃除機をかけてたんだ。幼稚園に送り迎えをしてくれる時にも車でサバスやパープルの曲をかけて、今何の曲がかかってるか俺に当てさせたりもしてたよ」

地元を中心にギグを重ね、自らの楽曲を書き上げながら活動していた彼らは、2008年初頭、インキュバスストーリー・オヴ・ザ・イヤーなどを手掛けるマイケル・‘エルヴィス’・バスケットをプロデューサーに迎え、3曲のデモをレコーディングする。その楽曲がロードランナーのA&R、モンテ・コナーの耳に止まり、バンドはすぐさまロードランナーとの契約を勝ち取る。「バンドとして活動を始めて、このヴェガスで活動を続けながらもハード・ロック・レーベルと契約できない存在でい続けるのは、言ってみれば“シュレッドするか死か”っていう状況だった。ロードランナーってのはちゃんとタマもあるし、俺達の信条をしっかりと支えてくれるレーベルなんだ」

その後バンドはテイキング・ドーンへとバンド名を変え、まずジェイソン・スーコフとデモをレコーディング、そしてまたマイケル・‘エルヴィス’・バスケットをプロデューサーに迎えてデビュー・アルバムのレコーディングに取り掛かるのだが、レーベルはすぐさまアルバムを発売することはせず、デビュー前にしっかりと地固めをさせるべくバンドにツアーをさせていく。2009年3月にはトリヴィアムとのツアー、その後もサライヴァスキッド・ロウドラゴンフォースオール・ザット・リメインズといったバンドのUSツアーのサポート・アクトとして全米を何度もサーキット、その間にアルバムからの楽曲を収録したEPをデジタルのみで配信させたり、会場限定でそのEPを販売したりと、じっくりとその名をシーンに浸透させていった。そして2010年1月、まずUSでデビュー・アルバム『タイム・トゥ・バーン』を発表、その後も全米をセオリー・オヴ・ア・デッドマンとサーキットし、同年3月にはヨーロッパでアルバム発売を迎えると同時にエアボーンとのヨーロッパ・ツアーに参戦、ツアーと組み合わせたリリースで、注目を集めていく。そして4月、いよいよここ日本でもデビュー・アルバムの発売を迎える…。 配信用QRコード ロックうた王国↑用QRコード